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36歳、研究を続けた先に残った990万円の奨学金。不自由と不平等を再生産し続けるこの制度に、いま思うこと。



「奨学金帳消しプロジェクト」には、自らも奨学金を返済しながら、他の人のためにもこの制度を改善したい、という思いを持って活動に取り組んでいる社会人メンバーが数多く在籍しています。今回は、現在出版社の編集者として働いている30代女性、Hさん(仮名)に、自らの奨学金返済の体験を書いてもらいました。


 

自分が奨学金を借りると決めた10代の頃は、「きちんと真面目に働けば、問題なく返せるのだろう」「借りた当人が後で困るようなものを、国や学校が勧めはしないだろう」と、何の根拠もなく信じていました。

 両親は高卒、親族にも大卒の人間がほぼおらず、自分も親も知識が浅かったと思います。その後、リーマンショックの影響による就職氷河期、東日本大震災の影響や増税、新型コロナウィルスの感染拡大など、奨学金を借りた時には想像もしていなかった事態が次々に起きました。この間、個人的には人間関係の悩みから鬱病になったり、実家の父親がギャンブル依存で自己破産したりもしました。


 現在は教育系出版社に正社員として勤めていますが、コロナ流行による家庭の経済状況の悪化で学校の教材採用数も減り、一時は倒産の危機に陥りました。現在も賞与はなくなったまま、残業も制限がかかったままです。一方、実家からは不定期で「○万円貸して。明日までに振り込んでほしい」といったLINEが届きます。


 大学・大学院での研究は楽しかったですし、現在の仕事も好きなので、何も後悔はしていません。ただ、奨学金返済の負担は常に頭の片隅にあります。年齢的に結婚も考えていますが、奨学金のことについては、なかなか交際相手に話せずにいます。Twitter上で「子の結婚相手が奨学金返済を抱えていたら反対する」という母親の意見も目にしたことがありますし、打ち明けることで関係が変わる恐れがあるならこのままでも……と思うものの、子を持つことを考えると、身体的なリミットも迫ってきている状況です。


 ネット上で見かける当事者の声や、POSSEの活動に参加されている皆さんのお話を伺っても、「生まれによる格差、機会を平等にするための奨学金制度のはずが、現状では不自由と不平等を再生産するものになっている」と思います。私自身、5年前までは地元の公立高校で教員をしており、成績が良くとも「経済的に大学進学は難しい」と言う生徒には、他の先生に倣って当たり前のように「奨学金を借りる方法もあるよ」と声をかけていました。

 しかし教員から転職して、返済の残額を目にするたび不安に駆られている今となっては、「あれは言うべきじゃなかった。でも、他に何と言えばよかったのだろう」と考えます。


 家が裕福でないのに「学びたい、研究を続けたい」という理由だけで進学した人は、その後の人生に制約を受けて当然——と言われるのなら、到底、後の世代に利用を勧められる制度ではありません。

 奨学金返済問題を自己責任論で片付けていては、今後この社会はますます停滞し、暮らしにくいものになっていくだろうということは、素人でも予測できます。改善の余地はあるのに、単なる無関心や「なんとなく」という理由で放置されているのなら、後の世代のためにも何とかして今変えたい、と強く思います。


(36歳、女性、編集者、奨学金借入額990万円)

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